2025年06月02日
戦争の記憶をつなぐ〜戦後80年、聞き書きの役割を思う〜
戦後80年の今年、戦争体験の新聞記事が目に立つ。その中に、カンヌ国際映画祭に出された「遠い山なみの光」(石川慶監督)の原作者であるカズオ・イシグロ氏が共同通信のインタビューに応えたものがあった。作品の主な舞台は終戦間もない長崎であり、氏は幼少期まで過ごした故郷の記憶を残したかったと語っている。
原爆により焦土と化した長崎の記憶を人はどのように記憶し、また忘れ去るのか。母親が被爆者でもある氏は、戦争、特に核戦争の脅威が再び高まっているとの懸念を示し、「戦争や原爆を体験した人がどんどん亡くなっていることに危機感を抱いている。戦争を直接体験していないが親から話を聞いてきたわれわれの世代が若い人に伝える責任を担わなければならない」と語っている。
イシグロ氏と同世代である私は、この記事に改めて私自分の、また、聞き書きの『戦争の記憶』についての役割を考えさせられた。私は北川村の遺族会館を訪れ、そこに掲げられた多くの英霊の写真を拝見する機会を得た。その時の『この年若くして亡くなった人たちの声を聞きたい』との思いが消えず、10年後退職してから聞き書きを始めた。それから、また10余年が経つ。
当時すでに北川村で戦争体験を持つ人は少なく、かろうじてお一人からフィリピンでの戦争のことを、数人の遺族から戦死された夫や父親の思い出を聴かせていただいた。北川村以降は戦争に拘らず聞き書きを続けてきたが、これまで出会った語り手はみな私より10歳以上年上だったこともあり、胸の奥のそれぞれの戦争の記憶や思いを聴かせてくださった。
どの話にも戦争のもたらす苦痛に満ちた記憶がつまっており、それは遠い国のことではなく、私のすぐ傍らで生きてきた人たちの、またその家族の物語であった。今、世界は分断の様相を呈していることを思えば、この物語が明日は私の、あなたのものになるかもしれない。その懸念がぬぐえない現在、私はこれまでの聞き書き作品を戦争の記憶継承という目で捉え直し、このブログに書いてみようと思う。今年も終戦記念日の暑い夏が来る。
この季節、高知のいたるところでドクダミの花を見かけるが、この八重の花は珍しい
posted by ききがきすと at 10:02
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