2015年07月20日
素晴らしきボランティア人生
語り人 庄司菊枝(しょうじきくえ)さん
思わぬ病気が

めげているから、電車に乗って病院に行くのがつらいんですよ。通院する間も熱っぽくなるからね。つらいのはわかります。でも、私はどんなに具合悪い時でも、寝るのは夜だけにして、つらくても起きていました。「病人らしい病人になっちゃだめ!」と言いました。
それから友人は、ご主人に病院まで車で送ってきてもらうようになりました。病院では時間がかかるんですよ、2時間で終わればいいほう。下手すると3時間もかかってしまう。でも、ご主人は診察中はお茶をして、長い間待っていました。その後、友人は良くなってカラオケを楽しんで、カラオケ大会にも出たりするようになりました。
病気を乗り越えボランティアを
私が地域の活動にすごく興味を持ったのは、生きた証として皆さんに喜んでもらえることをしたいと思ったからです。
まずボランティアコーディネーターという資格試験を受けたんです。40人くらい受けて、多少落ちた人もいました。そして、福祉の仕事をボランティアでやってくれないかと、ラブコールがかかったんですよ。その時、私は65歳。やってみると楽しくて。1年で切り替えですが、「またやってくれ」と言われて嬉しかった。
一番初めにやったのが、耳の聞こえない方に手話師を引き合わせるお世話です。そしてボランティアをやりたい人の相談にのる。そんな役をさせていただいて嬉しかったです。
女の人はいいのですが、定年になって来る男の人が難しいんですよ。「こういう態度ではだめですよ」とくれぐれも言っても、「大丈夫」とか「俺をそんなに信用できないのか?」とくる。夕方、紹介した老人ホームから電話がかかってきて「もうあの人は二度とよこさないで下さい」と断られました。
次に切手を貼る仕事を手伝ってもらいましたが、「そんなばかげたことできない」と断る。イベントの手伝いをしてもらいましたが、お弁当の券を好きな人にいっぱいあげてしまったり・・・。みんなでやる仕事は出来ない。彼に何か合う仕事と考えて、頭が痛くなってくるんですよ。やってもらうことに、ことごとく不満が出る。私がやっていて一番失敗したのが、この男の方です。
やりたい人とお願いする人との橋渡しをするのが、私の役目なんですが、なかには車椅子の男の人で、ボランティアは女の人に来てほしいと依頼がありました。男のボランティアが行くと、家に入れてくれない。理由を聞くと、「女の人の方が心細やかだからいい」と。「男の人でも気のつく人が、たくさんいるからその人たちはどうですか?」と言っても「女の人の方がいい」と・・・。いろんな人がいますよ。
仕事・子育て・家事のめまぐるしい時代
最初に勤めたのは幼稚園でした。結婚して辞めて、実家の鉄鋼所で事務をやっていましたが、住まいが遠かったので、その仕事も辞めたんです。長女が生まれて、借家は問題が多いので、新しい住まいが欲しいと思いました。勤めることを主人に相談したら、「家に居ていいんだよ。勤めたいなら勤めてもいい。でも、俺はいっさい手伝わないよ」と言われました。
姉の所の2階が空いているので、そこに住まわせてもらい、大きな会計事務所にタイピストとして勤めました。仕事は忙しかったです。
家に帰ると外に娘がいて、「どうしたの?」と声をかけると、「お母さんまだかなぁと、星を見ていたの」と言います。「何かつらいことあったの?」と聞くと、何にも言わない。姉の所にも子供がいて、私の娘の後から生まれたので、小さかったの。その子と一緒に遊んでいて、何か気に入らなくて泣いていたらしいんですよ。
そしたら、姉が「明美ちゃん、またいじめたの?」って言ったそうなの。いじめたんじゃないのに、聞いてくれない。そして、娘は空をじっと見て、私に「お星様とお話ししてたの」と訴えました。本当に長女にはかわいそうな思いをさせました。
仕事は忙しかったです。今のようなワープロやパソコンと違って、印字を打っていく時代の和文タイプですから、1字間違えると、またやり直しなので。会計事務所なので、絶対に間違いは許されません。最後の仕上げの課だったので大変でした。残業になっちゃうんですよ。あの頃は何10件も打つので大変でした。
二人目を妊娠した時に、仕事を辞めたのですが、その時一番喜んでいたのは長女です。娘は5歳になっていました。
それまでは毎日、おねしょをしていたんですよ。幼稚園の仕事をしていたのでわかるんですが、おねしょは子供の心の病気からくることもあるのです。それが、私が仕事を辞めた日からピタッと止まりました。それ以後、一回もおねしょはしませんでした。
仕事をしている時は、近所の人に送り迎えに行ってもらっていましたが、こんどは毎日保育園に送り迎えに行きました。私が迎えに行った時、娘は嬉しかったのか、「この人が私のお母さんよ」って、みんなに紹介していました。今でも心に残っています。
二人目が生まれて
二人目も女の子でした。二人とも帝王切開で生んだのです。あの頃は、売血が流行っていて、とんでもない血がいろいろあったみたいで、それが20年くらい経たないと、出てこないんですよね。
二人目がある程度大きくなってから、また仕事を始めました。あの頃は、パートというのは無くて、正社員ばかりです。経理課でしたから、帰りが遅くなるのですよ。長女はもう小学生でしたが、次女は朝にお弁当と水筒を持たせて保育園に預け、出勤です。あとで見たら泣いているんですよ。もう辛かった。
ある日、次女がはしかで、仕方なく家に置いて「ごめんね」と言いながら、勤めに出ました。そしたら、次女は「行ってらっしゃい」と言うんです。人の心を読むんですね。「お母さんは休めないんだから、いいよ。お母さん、大丈夫だから、行って、行って」と、4歳の娘が言うんですよ。涙がぽろぽろ出てきちゃいました。
そしたら、夜、保育園の先生が家に様子を見に来てくれて、「正子ちゃんを置いて、仕事に行ったんですか。なんと冷たい鬼のお母さんでしょう」と言われました。先生にしてみれば、「こんな時に休まないと、いつ休むの?」とうちの子のことを思って言ってくれたのでしょうが・・・。「私の気持ちなんかわかるものか・・・」と思いました。
「休ませてほしい」と言えば、休ませてくれたかもしれませんが、「だから、所帯持ちは仕事が続かない」と思われたくなかった。子供がいるのは私だけでしたから、結婚して辞める人も多かったけれど、私も頑張ったし、子供達も頑張ってくれた。
宝物の絵本
そして、孫達にも絵本をあげました。「これ、ぼくの本だよ」と、幼稚園で自慢しているらしいです。絵本を作る時は、文章から書いて、絵も自分で描いて仕上げます。私しかわからない、子や孫の成長の記録です。
今、やっているボランティア
うちの近所のお子さんのいないご夫婦、独身の方、小学校以下の子供たち対象のボランティアもさせていただきました。亡くなるまで、お付き合いさせていただいた方もいます。平成21年から、お年寄りだけのサークルでしているものもあります。94歳のおばあちゃま、80歳でバスを乗り継いで来てくれる方もいます。豊洲から来る人は「ここが一番好き」と言ってくれます。
今やっているのは脳のための1分間スピーチ、2分間スピーチ、お話し会、ゲーム、歌、肩をたたいて歌いながらの体操などです。楽しいですよ。「とうりゃんせ」や「あんたがたどこさ」と歌って、お手玉やまり遊びをしたり。時間は2時間くらいです。
*地域のクリスマスパーティーで焼いたアップルとミートパイ
毎年変わったことを取り入れていて、去年は折り紙をしました。今年は粘土をやろうかなと思っています。3月はラメや白・ピンクで桜の形を作ろうと思っています。そのほか、ママと子供の作品など。企画するのは楽しいです。
ボランティアが生きがい
今、文化センターでは絵本作りをしています。仕上げまでは時間がかかります。亀戸天神物語をみんなで作っているので、宮司さんには、私達にはわからない言葉の使い方などをみてもらっています。3〜4回みてもらいましたが、忙しい方なので、なかなか会えず、以前、朝の8時50分に待ち合わせして行ったくらいです
今回は、区との協賛でプロの絵描きさんに描いてもらうことになりました。最終的にはスプレーのりで貼り、表紙をつけて仕上げていきます。印刷や仕上げはプロに頼んだら高いから、江東区では、われわれが作ったのを、町会の人が印刷して下さるんです。
ところで、神社といえば、江東区には一番古い藤原鎌足由来の「亀戸香取神社」、学問の神様の藤原道真を祭った「亀戸天神」、日本武尊の后・弟橘姫の笄塚のある「浅間神社」があり、これらに関する3冊を、仲間と作りあげました。
江東区で観光ガイドもしています。個人の時もありますが、旅行会社から頼まれる時もあります。お正月だと七福神めぐりなどもガイドしますね。費用は去年から、保険料・お土産代で500円いただいています。
そのガイドをするには資格がなければなりません。観光課というところで、受講して試験を受けるのです。みんなの前で説明もしなければなりませんし、落第する人もいますが、図々しくしていると通るんですよ。男の人は、あがっちゃって出来ない人もいますが。
1年に18〜19回しています。私の班が一番多いですね。午前・午後のコースがあり、一回が2〜2.5時間くらいです。亀戸天神を回るだけでも1.5時間かかります。そのほかに、昔あった銀銅貨鋳造の「銭座」を回るコースもあります。銭形平次のお金などを骨董屋で買っておいてお見せしたら、みなさんに喜ばれました。
嬉しいことに、社会福祉協議会からの紹介募集もあって、以前参加した方が楽しかったからといって、千葉から観光バスで来てくれて、ご案内したこともあります。
これからもボランティアに夢中
私のボランティアの主なものには、ボランティアコーディネーター、高齢者のお世話、観光ガイド、絵本作り、パン粘土作りなどがあります。私がやっているボランティアは、現在13個でしょうか。それでも2個減らしました。ほとんど毎日のように、出かけています。
でも、うちの主人は5時にお風呂に入る人間で、私がそれに間に合わないといけない。それまでに帰るようにしていますが、時間に追われます。
主人はボランティアが大嫌い。今は日中にテレビを見てくれているので、助かっています。主人が元気でいてくれているからできることなので、感謝しています。
今が一番幸せですね。主人には「おまえはボランティアに行く時、恋人に会いに行くみたいだな」と言われています。私は声をかけてもらうと嬉しくて、ときには分きざみの予定をカレンダーに書いていますよ。今でも病院に行って注射をしながらですが、元気になっています。
児童館で「先生、これプレゼント」と、私の顔を描いたものを渡してくれたりすると、とても嬉しくて、大事にそれを取ってあります。
みなさんが喜んで下さる。それが私のエネルギーとなります。そして、それが私の生きている証となっているのです。
*手作りのパン粘土クリップ
あとがき
そして、ボランティアとの出会い。数々のボランティアを精力的に打ち込んでいらっしゃる。きっとそれは、元気で生きていられることの恩返しのように、こちらにもしみじみと伝わってきました。元気と勇気をもらいました
「人の役に立つって嬉しいこと!そして私はそこからエネルギーを頂いているのです」と言われる姿に感動しました。貴重なお話をどうもありがとうございました。
最後に、手作りの可愛いパン粘土クリップをいただき、ありがとうございました。大事に使わせていただきます。これからも、ボランティアに趣味に、ご活躍されることを願っています。
ききがき担当:永井有可子
終わり
posted by ききがきすと at 22:29
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