2014年05月11日

ペルーで変わった仕事の仕方 〜福祉の仕事をデザインする〜

語り手:三谷 求(みたに もとむ)さん

ペルーでの原体験が仕事の基本に


三谷さん.jpg 私は18歳で愛媛から大阪に出て働きながら、夜、デザインの専門学校に行きました。当時はデザイナーになりたくて、デザインの勉強をしてたんですけど、学校を卒業する前に就職が見つかったので、大阪の会社でアクセサリー・デザインの仕事をしてたんですね。会社でアクセサリーのデザインをしながら、東京への営業、イトキンとかエトワール海渡とかにも行っていました。

バブル崩壊の前だったので、ものすごく売れていて。その頃、海外旅行に一人で行くということを始めたんです。仕事は私の生きがいで、当時は面白くてしかたなかったですね。自分で売って、またデザインして、作って。小さな会社だったので、営業まで全部一人でさせてもらってました。


それがすごく楽しくて、もう少しスキルアップしたいという思いと、海外で生活したいという思いがありました。「兼高かおる世界の旅」を子どもの頃から見ていて、海外で生活したくて。ペルーか、中国か、トルコのどこかに行こうと思っていました。どこも細工ものが多いんですよね。宗教的なことでトルコはやめて、中国も当時は国交が正常化してなかったので、近いから年を取ってから行こうと。


結局、ペルーの銀細工を勉強しに行こうと。無謀にも知り合いもなく、言葉も知らないで行って、そこで2年半を過ごしたんです。内戦があっても、中の人たちは普通に生活していました。

ペルーの北部の町に銀細工の村があって、そこに学校があったんです。1年ぐらい経ったときに、そのことがわかって、その学校に入学をして、銀細工の勉強を1年ほどしました。


日本人は見たこともない、私が初めてというような小さな村だったんですが、そこでの生活が面白かったですね。仕事に対する思いが変わったのは、そこでです。それまでの日本はバブル崩壊前で、景気がよくて、時間に追われて、忙しいことが美徳のような流れでした。ペルーではお金もなくて、生活費もなくて。カナダ人の宣教師の教会だったんですが、そこに下宿させてもらって、子守してくれれば置いといてあげるって感じだったんです。


たまに、お手伝いで、その教会に来る貧しいおばあさんたちと一緒に仕事をするんです。日本だと1枚の型があれば、紙を5枚合わせて1回で切りますよね。そうしたらすごく怒られて、なんて怠け者なの、って言われて。早く終わらせた方が優秀なんじゃないのかって思っていたのが、明日の仕事がないじゃないの、って言われて。


そうか、仕事は長引かせないとお給料もらえないんだ、と気づいて。本当に目から鱗でした。「仕事っていうのは、早く終わらせるだけが全てではないんだな。家族のために、一つの仕事を三つに分けてでも引き延ばすことも仕事なんだ。この国のここでは、そうなんだ」って思いました。


マチュピチュ.jpgそれまで自分がやってきた「あぁ、忙しい、忙しい」という、早く次の仕事に移らなくてはいけないっていうような常識は、その国のそこだけに通用することだと思いました。で、仕事に対する見方が、そこで本当に変わったんです。Aさん、Bさん、Cさんのそれぞれに仕事のペースがあって違っているのに、自分の物差しでは計れないって、その時に思って、それから働く姿勢がすごく変わってきたんですよね。


福祉の仕事をデザインする


学校を卒業して1年経って、日本人は強制的に帰らなくてはいけない状況になりました。成田から妹がいる東京に帰る電車の中で、「なんでみんなこんな暗い顔しているんだろう。お金があって明らかにペルーよりいい生活しているのに、この疲れ切った様はなんなんだ」と思ったのが、福祉の仕事に入るきっかけになりました。ちょっと待てよ、人間って本当に面白いものじゃないかなって思ったんです。銀細工するにしても、いろんな器械が必要だったりするし。


まず、介護の仕事に就きました。当時は、まだホームヘルパー2級っていうのはなくて、要介護の家族を看る講習会っていうのがありました。そこから入っていって、知的障害者の施設とかで働いたりしたんです。視覚障害者のガイドヘルパー(以下、ガイドという)の資格も取りました。しばらくたって、足立区の社会福祉協議会が職員募集をしていたんで、受けたところ、採用に。そこで、コーディネーターとして2年間仕事しました。


そのうち、なんだ、このお役所的な仕事の仕方は、と思うことがありました。例えば、自然災害の場合には、いつガイドサービスをキャンセルしたら費用がかからないのかとか、積雪の時のキャンセルは雪の深さを測る必要があるのですが、目の見えない人がどうやって測るのかとか。使いやすいシステムに変えてくださいって言うと、自分でやればって言われました。やっていいのかなって思って、NPO法人についていろいろ調べて、自分で始めたんです。


お役所的な制度と実際が合ってないというところがずっと疑問で、そこで、おとなしく「はい、そうですか」って言っておけば、社協の職員でいられたのに、自分でやったがために忙しくなっちゃって。でも、仲間がいて、私もそう思うって言ってくれたガイドさんたちや、私も三谷さんとこへ行きたいっていう利用者さんがいてくれたので。社協からはすごく恨まれたんですけど、すぐ潰れるとかなんとか言われながら、結果として続けられてきたのは、不思議なんですけどね。


いつも私は、仕事の力は8割で、2割の力は余力として残しておかないと、いつも全力では折れちゃうと思っているんです。なので、しっかり遊び、気分転換も必要です。この頃では任せられる人もできてきたので、仲間のガイドさんたちと温泉に行ったり、栗拾いに行ったりとかそういうこともして、いい方向になってきたかなと思っています。

利用者さんについても、普通は利用者様って呼ばなくちゃいけないんですが、みなさん、名字で呼ぶし、その人たちのことも障害者扱いしないし、スタッフもみんな普通に接しています。だから、居心地がいいのか楽しみにきてくださっています。


組織での仕事で大事なのは、役割分担ですよね。高齢者の支援をやっている足立区の古い派遣センターで仕事をしたことがあったんです。その時、お役所にはすごく丁寧な言葉を使うんですけど、ホームヘルパーさんに対しては、自分の都合のいい人にしか派遣しないとか、おかしいんじゃないかなって思いました。


働く人も依頼する人も事務局も、同じだろうって思っているんですよね。仕事がなければ派遣はできない、派遣がなければ利用者さんが困るっていう堂々巡りです。だったら、立場は違っても、同じじゃないか。ただ、役割が違うだけだと。利用者さんからは仕事もらわなきゃいけないし、ホームヘルパーさんはホームヘルパーさんで、仕事に行ってもらわなきゃならないし。みんな同じですよね。


私は代表ではあるけれども、偉いわけでもなんでもない、ただの電話番だって言います。雑務は私がこなすし、けんかも私がするから、あなたたちは安心して仕事に行ってちょうだいって言うんです。


利用者さんにも、私がガイドさんを大事にするのは、あなた達のためなんだよ、って。三谷さんはガイドの味方なんだよなって言う人もいるけど、それはひいてはあなた達のためでしょう、ガイドさんが辞めたら困るでしょう、って言うんですよ。


私は役所からはすごく嫌われているかもしれない。でも、役所からの仕事も私は断らないんです。たいへんな人のところへお話に行ってという時にも、行きますって、できることは引き受けます。それに関しても実績をつんできたのかなと。言うだけのことを言うからには、やることはやらなくちゃいけない。


また、ガイドさんたちには、常に仕事として動いてもらわなくてはいけません。だから、うちではボランティアはやらない。お金は全部払います。たとえ、事業収入が入る仕事でなくても、ガイドさんには払うんです。赤字になっても払います。そうしないと生活は守れません。会社としては、べつに儲けなくていい。みんなが給料もらえればいいじゃないかと思っています。


収入は介護報酬に頼っているわけですが、国がこの仕事に理解を示さないんですよね。高齢者の方には理解があるんです。だけど、うちなんか高齢プラス障害があるので、ダブルでもらいたいくらいなんです。でも、今以上は事業所が増えないということは、利益が出ないからなんですよね。


仕事が段々増えてきてはいるんですけど、それは助成金を受けているとか、委託事業があるからです。だから、まるっきり民間で介護報酬だけでやっているところは増えません。もうちょっと、そこらへんのところを理解して欲しいんです。なんたって、視覚障碍者の支援をしているのは、民間ではうちぐらいしかないですから。他のところはすべて公的なところなので、うちは別に困っていないとなっちゃうんですよね。


当事者である視覚障害者の人たちが動かないと、国とかは動かせない。でも、その人たちには、常に必要な派遣はされていますから、別に困らないんです。わざと困らせるってできないですよね。ストライキってわけにもいきませんから。なので、仕方ないのかなぁ。

     

 また、頻繁に制度というか、名称が変わっちゃうんですよね。「移動支援」から「同行援護」になるとか。その度に定款を直すことに。私たちが頼んだわけではないのに、国が勝手に変えといて、定款変えなさいって言われて、本当に無駄が多い。まぁ、でも、仕事できているから、今のところ。


人はみ違う、だから面白い


だけど、後継者を探すのは難しい。だって、こんなたいへんなこと誰がやるの、そういう感じです。私が倒れたら、終わっちゃう。いざとなったら、今いる職員、スタッフが何とかしてくれるとは思うんですけどね。今、私の口からは言えないですが、多分動くとは思うんです。随分できるようになっていますから。それまでの様子見ですかね。


ガイドってマンツーマンでする仕事なんです。事務もマンツーマンでしているので、その事務も交代はできないんですよ。派遣の請求システムとして国がつくったものは、ものすごくややこしくなっていて、それを普段から皆に教えるのかっていうと、守秘義務もあり、なかなか難しい。あなたもできるようにしてねって、AさんにもBさんにも教えるってできないですよね。


今、事務的な仕事をしているのは、私ともう一人います。この人は事務的なことから派遣まではできるでしょうけど、そこからはこれからですね。周りもね、まだ動いているからいいだろう、三谷さんがいるからいいだろうと思っている。


やり方を変えれば、その人なりのカラーでできると思うんですよね。私のように、イノシシみたいにダーっと行かなくても、やんわりといけばいいと思うし、何とかなる。うちが辞めると、バーっと散らばっちゃう利用者さんたちを受け入れるところもないんで、それは区の方も困るのかもしれません。


問題山積みで、一つ終わったら、また新たな問題が出るのですが、その度に、仕事が人生じゃなくて、遊びも必要だし、気分を変えたいし、ってとこですね。ほんと、仕事づけは嫌だな。毎日が日曜日でなくてもいいから、たまには日曜日欲しいな、みたいなね。仕事は自分でやっているから、嫌いではありません。ただ、楽なことではないなって。年中無休の仕事ですから、私がこうしている間にも仕事している人がいるわけですよね。怪我がないようにとか願うだけだけど。


これまでのメンバーについて振り返ってみると、最初に立ち上げた時の人が合わなくて、出て行ったんです。制度を無視していたので注意をしたんですが、辞めてしまって。その時に、その人が連れてきた利用者さんが、ごっそりいなくなったんですよね。


でも、誰一人心配しなかったんです。大丈夫じゃない、って。だから、あんまりたいへんって感じもなかったんですけど。・・まぁ、常にたいへんでもあるんだけど、メンバーがよかったですよね。大丈夫よ、仕事少なくなってもいいからっていう感じでしたから。で、蓋開けてみたら、全然減らなくて、よかったです。

日々いろいろありですけどね。でも、後に根に持ってもしょうがないし、そんな性格でもなかったので、よかったのかな。メソメソしてたらやっていけない。


例えば、私だって、10人、20人いるガイドさんの中には、気の合わない人だっているわけですよ。でも、私と気が合う必要はないんですよね。利用者さんと合って、楽しく仕事に出てれば、どの人も必要な人材で、人が財産です。

よく、代表と気が合わなくて辞めたとかありますが、私と合う必要ないじゃない。利用者さんと合って、行ける人のところへ行ってくれたらいいって言っていると、その人はその人なりに働いてくれるし、すごくいいなと思うんですよね。


人って、パズルじゃないけど、必要なところにはめ込むっていうか、マッチングさせるのが、コーディネートの面白さじゃないですか。ガイドさん同士で気が合う必要もないし、合う人もいるだろうけど。そういう目で見ていると、苦手だなと思っていた人もなんとなく理解できてきて、あぁ、こういう人なんだなって思える。人間って面白いですよね。人間なんてみんな違うから面白い。自分みたいなのが、10人いてごらんなさい、って感じです。上の立場の人は、そこは認めないといけないと思います。


私も、いろんな国へ行って、いろんな人と会う中で、そう思ってきました。違ってないと面白くない。役所の中にも、すご

くいい人もいるし、親身になってくれる人もいます。基本、みなさんいい人で、制度の狭間でぶつかるだけです。

今度飲みにいきたいですね、って言ってくれる人もいますよ。実際には行くことはないですが、そんな中で仕事できるのは、自分でやっている醍醐味もあるなと思うんです。こういう仲間が増えてくれるといいなと思います。


福祉の仕事をデザインする


事業所をやりたいという相談があるんです。ぜひ、やってください、知っていることはみんな教えますよ、って言うんです。ノウハウには何の秘密もないので、やってください、って。でも、なかなかやってくれる人がいない。山形とか2〜3件、相談もあったんですけど。障害に限定しているので、競合も少ないんです。高齢者向けのサービスはたくさんありますが、障害者となると少なくなりますよね。だからこそ、必要だというのもある。


全国にそういうネットワークがあって、例えば、東京の人が高知県に行くので、高知県のガイドさんが高知の空港で待っているという場合もなくはないんですよ。だけど、そうするには両方に登録するとか、すごく手間がかかって、目の見えない人がどこまでできるのかっていうことが、すごく疑問です。


飛行機に乗せてくれれば、降りたところで、出迎えてもらえる。そういうシステムがあれば、もっと障害のある人も動きやすくなりますよね。独居でも動ける。若い人には、そういう人が多いですよ。いろんな活動をしている人もいるし。サッカーで、ブラジルに行ったり、ロッククライミングをやってる人もいるし。応援したいんですが、なかなか思うようにいきません。制度が問題です。


情報発信も大事で、もうちょっとパソコンも勉強しなくちゃいけない。やろうと思うと切りがないです。ブログとかフェイスブックはやっているんですけど、なかなか特定の人しか知らない。視覚障害者のガイドや制度については、詳しく書くんですけど、見たかなあ、って程度ですね。

地方によって制度が異なり、一人当たりの視覚障害者の使える時間も違っていて、全国統一してくれないと困るんです。


でも、うちの田舎なんか人口少なくて、しかも地域が山だとかだと、ガイドさんが行けないくらいの距離のところもあり、そうすると難しいですよね。そういうところの障害者って、もう引きこもっているしかないのかなぁ、って、心配なんです。できれば、少しでも楽しんでもらいたいですね。


まだまだ難しいところです。やっていくと面白いんですけど、一つ手をつけると終わらなくなっちゃうし、今あることで手いっぱいのところもあるし、ね。ちょっと過渡期っっていうのかな。もう一つってところです。


みなさんの歴史を書き留めておきたいという思いがあるんです。時々、すごく面白くて、私たちの意表をつく答えを言てくれる人とかもいるんですよね。だから、あぁ、こういう思いもあるのかなぁって知ったり、聴き出すことも勉強していきたいんです。表に立って喧嘩ばかりしてないでね。(笑)


あとがき


三谷さんと私は、ききがきすと養成講座で同じ受講者として出会いました。講座のワークショップの中で、「私と仕事」をテーマに、お互いの話を聴き書きし合った仲間です。聴き手の未熟さにも関わらず、三谷さんが語ってくださった仕事についての経緯や考え方は、日本の狭い枠から飛び出したような幅の広さや面白さがあるものでした。豊富な内容に、思わず「そうそう!」と頷きながら聞いていました。


ペルーの片田舎のおばあさんたちとの作業の中で、人も仕事もそれぞれでいいんだと気づき、仕事への姿勢が大きく変化したと話されていたことからも、NPO法人代表でありながら、仕事を管理するというより、仕事を楽しくデザインしているという印象を持ちました。人はみんな、違っていい。違っているから、面白い。当り前にそうおっしゃる、軽くて、明確な口調に、不思議な説得力があります。

私も、こんな上司と一緒に仕事したかったなぁ。 

  (聴き書き担当 鶴岡香代)


*この聞き書きは、2013年のききがきすと養成講座の受講生が、実習としてお互いの話を聞きあって仕上げた作品です。

posted by ききがきすと at 13:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ききがきすと作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コメントを書く

お名前

E-mail

コメント

表示されるのは「お名前」と「コメント」のみです。

ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

コメント一覧

トラックバック一覧

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。