2013年01月07日
一生懸命働いた
かたりびと:山本留吉(98歳)
ききがきすと:海田廣子
聴き書き時期:2012年10月20日
親はこれ以上ないくらいの貧乏
生まれたのは千葉県の木更津市桜井516番。鹿島マンゾウの長男がエイゾウ、次男がカネキチ、そして三男の私が留吉。長女は鹿島志づと言って、それの子が80何歳かな、この老人施設「相生の里」に入所しています。兄弟は皆もういないので、丈夫でいるのは私一人ですよ。
親はこれ以上の貧乏はないくらい貧乏に貧乏していました。これ以上の貧乏はしたくない、みんなそういう気持ちで生きていました。一生懸命やろうじゃないかと言っても4人しかいない(笑)。何も買わなかったので、けちと言う言葉があてはまるでしょうね。
父親は漁業をやっておって、大きな樽を船に積んで沖に行って、魚を買って歩く商売をしていました。これからという時に、ころっといく病気でぽっくり亡くなりました。42歳でしたね。父さんは子供つくるのだけは元気だった(笑)。
母さんは身体は大きくなかったけど、丈夫でしたね。私は母さんが33歳の時の子ですけども、我々を育てるためにリヤカーに飯台つけて、魚を売りに行っていました。箱にちゃんと魚を入れて、冷蔵庫はなかったので氷をいっぱい入れてました。何が何でもこの人から買わなきゃというお得意さんのいる場所を作ったらしい。
木更津に新田橋というのがあって、それを渡ると裁判所があり、その片側に裁判所に関係ある人が住んでいたんです。そこにお得意さんがたくさんできてね。
母さんは年に1回、お正月に手ぬぐいを配っていました。私はそれをこしらえる手伝いをしたからはっきり言えます。よその人はそういう物を配らないので、お得意さんはよその人からは買いませんでした。それはありがたい事ですよ。
正義感が強かった兵役時代
兵隊に長いこと行っていました。昭和14年、26歳のときに目黒輜重大隊に招集されました。自動車部隊だったので、私は運転できなかったけれども、すぐ運転をやらされました。
軍隊では「本日、何時何分までに前線に兵の戦死者を輸送しろ」と命令がきて、藁の中に虫がいっぱいたかった患者などを輸送していました。号令係をしょっちゅうやらされました。私は詩吟が好きだったので、その頃、本当によい声でしたね。自分で自分のことを言うとなんとかが笑うと言いますが(笑)。
軍隊には殴ったり蹴ったりする人がいっぱいいたんですよ。ビンタを喰わして、えばっている人もいたね。この写真に写っている人は酒ばかり飲んで喧嘩ばかりしていて、どこまでいっても一等兵だったね。みんながあまり暴れていたから、私は早く星をもらって、乱暴なやつに「このやろうっ、そんなのやっちゃいけないよ」と言いたかった。それで一生懸命働いて星をつけてもらいました。
星をつけてもらってからはね、殴っちゃいけないよー、皆、天皇陛下にご奉公するために来てるんだから、そんなことすんなよって、よーく言ったんですよ。それから無くなってきましたね。
私は殴りもしないし、殴られることもなかった。山梨県の獣医が私を好きでね、私のそばを離れなかったから、それもあるんでしょう。
戦後、いろんな商売やりました
戦後は食うか食われるかの状況でしたので、一生懸命働きました。今のような穏やかなことはなかったから、いろんなことやりましたよ。お巡りさんがうるさかったでしょ。それを乗り越えてやっていたんで、つらいときがあったね。でも、まずそれをしないとご飯が食べられない。
干し海苔を乾物屋が欲しがっていたので、それに目をつけて兄弟3人で闇をやりました。一日目はよかった。二日目、中央線の四谷のちょっと手前のトンネルで暗くなるところがあるでしょ、そこでみんな盗られました。まさかと思いましたけどね、離れて座っていたのでわからない。稼いだお金で仕入れていたから、また、これだけ稼ぐのは大変だなぁと、後で話しました。
立川にスーパーのいなげやがあって、そこのおじいさんがすごく目利きでね。お金を持っているんだね。いくらでもよいから持ってこいと言うわけですが、いくらでもと言ってもね。兄弟で相談して、これくらいなら儲かるかな。じゃー、これくらいでよいね。では明日は100枚、200枚持って行こうか、とこうなる。
いなげやで買ってもらったからこそ今があるので、ありがたいですね。お礼申し上げると、ここでいなげやの宣伝しているようだけど(笑)。
お世辞をいうのが嫌いだった
私が奉公したところは五反田の「地球堂」という靴屋。これまた親父さんがお金儲けがうまい。でも、人をこき使う(笑)。ほんとにそうなんですよ。あの頃のお札、1円だったかなぁ、いくらだったか忘れたけれども。その親父さんは売り上げが溜まったら、お札を結わいて、仏壇の中に仕舞うの。それを銀行に持っていったかどうかは知らないけどね。
靴屋ではお世辞言うのが嫌いだったから、あまり商売上手じゃなくて、これが致命傷だった。でも、靴の知識を教えてもらいながら一生懸命やりました。
いっぱいお客さんが来ていても私はお客さんを逃さない、必ず売ってしまう。それをおやじさんは認めてくれていましたね。
靴屋は現金がないから、業者から手形で買わなければならない。日にちが来たならば手形を現金にしなきゃいけない。お金がないときは落とせなくてつらいことがあるんですよ。
五反田ではお金を貸してくれという人が多くてね。お金を持って行って、月末に月給もらったら必ず持って来たけど。ここに長く勤めていたら、こっちがつぶれると、靴屋は3年くらいでやめました。
鹿島という姓から山本の姓になって70年くらい経つかな、長いですね。兵隊から帰ってきて早々に、うちの親戚の人が、婿さんに行ってもらわないと困ると言うんだよ。私は財産がなかったので、一生懸命働いていくらかお宝ができるようになればよい、これから自分でそれを作っていくんだと思っていたので、「いやだよそんなの」と言ったけどね。女はきれいでもきれいでなくても何でもよくて、その気がなかったけど、頼まれて婿さんになった。
奥さんの名前は義子(よしこ)、亡くなってからもうだいぶ経つね。奥さんはいい人でね。優しくて、どこまでいっても優しかった。怒るということはあまりしないんだね、ほんとうにいい人だった。人間は我を張ってはいけないな、奥さんのようにどこまでいっても優しくなければいけないと思うね。
人間は分を守らなくちゃぁね
義理のおじいちゃんが、終戦間近まで山梨県の上野原の下にある荒田村の村長を長いことやっていました。キュウリ、トマトやさつま芋などが倉の中にいっぱい入っていて、よくもらいに行ったね。おじいちゃんに「一度に慌てて持って行くことないよ。たくさん持って行かなくても、少し持って行けば良いじゃないか」と言われました。それで、自分で買うこともできるのだから、そんなに芋をたくさん持っていくことはない、そういった欲望を持っちゃいけないと反省しましたよ。
靴屋の倅が35歳で20歳の嫁さんをもらいました。その嫁さんはおしろいつけて丸髷結っていて、お風呂に行くと、とてもみんなによくしてもらえるのね。「何だ、こんな女、昼間からおしろいなんかつけて」と思っていた。こんなことを言って申し訳ないが。私らは生意気な格好は嫌いだったね。身分不相応の格好をしてはいけないとよく親に言われていましたから。
靴屋の家主は材木屋で、その倅がすぐ裏に住んでいました。それと一緒に支店に行ったことがあります。私がひとこというよりかも、その倅が文句を言うと、親父は引っ込んでしまう。やはり大家さんだという意識を持っているからね。世の中というものはそんなものですよ。
土地を売買したおかげでここにいられる
少しずつ土地を買ってお金を貯めました。私の経験では、お金を貯めるには土地が一番よい。
あるところに行って声を掛けました。「この辺に私に適当な土地がないですかね。50〜60坪を2〜3カ所欲しいのだけど・・。これだけお金を持っているけど、まけてくれないかね」
「ちょうどこっちも売りたい時だから、まけて売ってあげるよ」と言ってくれた。登記所の抄本もらってから、お金を半分払って「じゃー、明日来るからね」といったやり方で取引していました。
私は買った土地を早く売りたいので、その土地の周りでうろうろしていると「この土地、どこが持っていますかね?」と聞かれる。そこで、「あーこの土地欲しいですかね。そうですか。もし何なら聞いてあげましようか?」と答える。私の土地だからね(笑)。これも一つの方法ですよ。
それから「商売始めるの?」「息子がこの辺で欲しいと言うから買ってあげたい。どれくらいなら売るかね?」「さーね、私はよくわかんないけど。100万円欠けたら売らないだろう。100万円は大したことないよ。10万円が10あれば100万円になるから」
すると相手も「じゃ、あっちで買うか」というから「いや、それくらいの値段ならあっちも売らないよ」と言ったりした。100万円くらいは儲けたいから、こんな風に売買をやったんだよ。
国立にあった有斐閣の土地40坪を買ったことがありましたよ。まぁ、何とか信用されて、悪人のようには見えなかったのでしょう(笑)。
その土地に私の家を建てたら、女房がここは道路がうるさいからもっと下がったところに行ったらどうですか、と言いだした。300〜400万円で買った土地を1000万円で売ろうと思ったら、翌日買いたい人が見えたんだよ。お金を持ってきたらしいので、私は腹ができているから、即、売ることを決めましたよ。ウソではなくて本当の話なんですよ。
私が今日まで来られたのは有斐閣の土地を買ったこと。それが一番大きかった。そのお陰なんです。
国立では、大和銀行に土地を売ったこともあり、ずいぶんお世話になったんですよ。150万円くらい利息が入ったときに銀行がすごく喜んでくれて、新米の担当者が何でも相談してくれと言ってくれてお得意様になったね。あんた、なに、そんなに簡単に態度変わるのって言ったけどね(笑)。あの銀行もつぶれましたね。銀行はあまり人に良いところ見せるといけないね。
それで国立の別の所に家を建て、それを売ったお金をこの老人施設「相生の里」につぎ込んだ。子供もいないんだし、死ぬのになんもいらないでしょ。何も残すことない。
姪に何もかも任せています
もうすぐ100歳になるから、私は今なんもいらない。3兄弟が早くこの世から離れてしまったから、どうすればいいんだか。
私は跡継ぎがいないので、姪が跡を継いでいます。東京都はお墓の継承については手続きが早いこと早いこと。山本留吉は×、今度は鹿島ゆきこが○というような方法で、1日くらいで変更してくれた。この姪に何もかも任せていて、今、守ってくれてますよ。私の貯金通帳から毎月の家賃を振り込んでくれています。
姪は58歳、結婚して子供が2人います。次男が買った新川の土地を維持していて、偉いと思うよ。4階のビルを建てて一階を蕎麦屋や飲み屋さんに貸しています。
姪はタバコを売っているんだけども、タバコはさっぱり売れないと言っていた。吸わない人が多いんだから、俺が買ってやろうかと言ったんですがね。私は何10年とタバコを吸ったことがないんですけど。
姪にお金を上げようというと、いらないという。欲張らないのね。普通の人なら内心では残してくれたらいいのにと思うでしょうけど、姪は欲しがらない。むしろあの子は勤めているときにボーナスもらったら、私に5万円くれたんですよ。
姪がお墓参りに行ってくれるのはありがたいね。「お墓、きれいに掃除してくれてあったよ」「あ〜そうか」「なにもかも高くなったよ。お花も2000円いくらだったよ」と言っていました。
準備してきたから今がある
ここに入所する前は、自分の家に住んで警備士をやっていました。たとえば競馬場とか、多摩川の競艇場とか。この間、立川競輪場の前で5億円を失くした警備会社がありますよね。そこにも働きに行っていた。あの警備会社はお金をちゃんと封筒に入れて現金で支払ってくれるんですよ。そういうのに目につけてやられたようだ。
月に15日は働きました。年取っても働いていたんだから、こんないいことはないですよ。車が好きで、大型の免許はもちろん、バスの二種も持っていました。大型の運転手やるより子供の方が楽しいから、幼稚園のバスの運転もしていました。1回の事故も無しだったね。「うちのパパなんて下手だよ。木にぶつけるのよ」「私は大きい車でも事故起こさないからいいほうかね」と言うと、「もちろんおじちゃんは上手だよ〜、上手だよ〜」と言ってくれる。
私は、兵隊に長いこと行っていたので、今はその恩給を使わしてもらっています。私学共済と国民年金、それから恩給をもらっているのでここの費用が支払える。当時、女房がそんなものに入ったって、お金なんてもらえないよと、よく言ったけどね。政府はごまかしはしないから、今もらえるんだね。余計にお金を掛けていたので、今はたくさん入ってきます。
楽しみも喜びもあって幸せ
私は車が好きで、しょっちゅう買い換えてたけれど、姪は10年も同じ車に乗っている。この前、姪がなんとなく車がおかしくなったと言って、やっと買い換えたね。いい車を買ったので、じいちゃんを連れて行きたいと、東京駅に連れて行ってくれた。東京駅はきれいだね。
ここ「相生の里」ではセブンイレブンからお弁当を取って食べたり、電話で品物を注文して配達してもらっています。500円以上は配達料は無料なのでいいですね。そばやの「うえむら」に頼んで出前してもらったりもしています。
それからもう一つの楽しみはどこかで食事をすることだね。「虹のサービス」の人と毎週月曜日、6000円かかるけど、ハイヤーを使って銀座に出かけています。銀座アスターは中華ラーメンでも、焼きそばでも食べるものはなんでもおいしいね。担当の人も銀座アスターが好きですね。
でも車椅子を押していくのは大変ですよ。商店街をぐるーと回って、三越の3階、4階、最後に地下で食料品を買って帰ります。それがひとつの喜びでもあり、自分の楽しみでもある。お金さえ使えばいろんなものがありますが、お金をむやみやたらに使うことはないです。
もうここ「相生の里」で死ぬんだから、何もいらないんです。ここに入所する前に奥さんの写真も家具もみんな置いてきました。お寺さんに約束して「正導院釋常賢居士」という戒名までもらっています。何の価値もないかもしれないけど、桜井の興福寺というお寺でね。亡くなった女房もそこで全部やってもらっている。もし、私が亡くなれば霊柩車がすぐ着くように連絡がついています。今はなーんもやり残したものがなくて幸せですよ。
(完)
posted by ききがきすと at 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ききがき作品 | |
コメントを書く