2011年04月08日

作品:人が集まってくれる暮らしは楽しい

人が集まってくれる暮らしは楽しい  
 〜夢は持ち続ければ叶う〜


     語りびと:藤田敏子  ききがきすと:海田廣子  
     聞き書き時期:20111

 
夫の母親との出会いがご縁

fujiyama10.jpg 新幹線のホームで私の前に夫の母親がいたの。たくさん荷物を持っていたから、一つお持ちしましょうかと声をかけて新幹線に乗ったのがご縁だった。一度遊びに来てくださいといわれて、住所、場所を書いてもらった。そのとき私は、婚約していたのを断りに名古屋から静岡へ行く時だった。

 帰ってきて、またお見合い写真でも撮るかと写真を撮りに行く途中で、そういえばこの近くだったのじゃないかと思い出して夫の母親のところに立ち寄った。たまたま私が行った日に夫もそこにいたの。会ったとき、すごいオジサンがいるわって(笑)。9才も違うので若いときの年の離れってそう感じるじゃない?。

 まさかその人と結婚するとは思わなかった。デートもしないうちに話が決まったの。

 一度だけどこへ行きたいと聞かれて、名古屋の東山動物園に行って、二人でゴリラの前で笑った。デートはそれ1回だけ。おじさんだからこの人なら間違いないのじゃないかなっていう気はしたの。でも私の親は心配して、興信所に頼んで調べましたね。真面目な人だと言うのがわかったからOKがでたのだと思う。恋愛感情もないし、手をつないだわけでもないし、ただゴリラの前で笑っただけなのに・・。思い切りがいいでしょ。

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                                                    思いきりがいいでしょ、と話す藤山敏子さん


 義母は、嫁はこうでなきゃいけないとの思いが強く、気が強い人。結婚したときは、それはものすごく大変な思いをした。子育ての時もそれはそれは大変だった。ホントにつらい事って思い出すのもいやでしょ。だからあまり人に言わないの。
 

 
結婚して最初の頃はずっと主婦だった。夫は退職するまで、専門書の大手外資系出版社の日本代表だった。大学の教科書、美術書、医学書、経済学の本など。本の著者がたくさんいたのでその接待があった。家に呼んで接待するだけならいいのだけど、ちゃんとお話を合わせられるように著者の方の本を一応読んだ。私は英語はダメだから日本語に訳されている本を買って、わかりもしないのに読んでいたのでとても忙しかった。小説だったらいいのだけど・・・。今その反動で簡単な本ばかり読んでるけど(笑)。

 外国からのお客さまだから和服を着て行かなきゃいけないじゃない。だから和服をまず着ることから。何となく着ることはできたのだけど、月に2回くらい先生に家に来てもらって、着崩れしない帯の結び方を教えてもらった。とにかく早く覚えなきゃと、先生が帰ると教えてもらったことを全部メモしてその通りに自分でやってみた。3ヶ月くらいでびしっと帯が一人で結べるようになった。結婚したときは主人が外資系企業に勤めていることは知っていたけど、そこまで大変だとは思わなかった。

 敏子さんを見ていると「幸せそうな絵を描いているし、なんの苦労もなく幸せな人ね」とずっと言われ続けている。「はいはい」と返事しているけども、気持ちの中では実はそうじゃない。好きな本を読んでその世界に入ったり、アトリエに行ったり、お友達に会っておしゃべりしたりとか、それを上手に解消する方法があるの。
 

アトリエで絵を描き始める
 

fujiyama2.jpg 結婚してしばらくして、子どもが中学生になったらカルチャースクールではなくて、ちゃんとしたところに絵を習いに行きたいと思っていたのよね。たまたま、ホテルオークラのレディーズサークルでアトリエのオーナーの奥さまと一緒になりお友達になった。「実は恵比寿に主人がアトリエを開くのでよかったら来てくださいね」と言われて、じゃ見に行こうかなと軽い気持ちで見に行って、ここなら大丈夫かなと。ちょうど息子が中学生になるタイミングだった。

 アトリエに行きだしてからは長いですよ。もう化石になっちゃって・・・(笑)。月曜と水曜の午前中のクラスは、みなさんめちゃくちゃ真面目な人ばかり。真剣でね。それこそ話もしないで黙々と描く人ばかり。入りたいと思う人が見学に来ても、その真剣さを見て恐れをなして、このクラスは入れませんというの。とけ込めないと思うみたい。描いてないときは和気藹々でいい人ばかりなのだけどね。

義母はあの時代の人だから家庭の主婦が毎日外に出るなんてとんでもないという考えが強い。義母は4時に夕飯を食べるの。だから、朝9時ごろまでにきちんと片付けをして、お昼ご飯と夕飯の準備をしてから出かけて行く。文句を言われないように家のことは完璧にした。そこが私の強いところ。やりくりがうまくなったわね。何十年もかかって編み出したことだから。義母も何年かするうちにだんだん私のやり方に慣れて、諦めちゃって・・・(笑)。でも長かったわ。これで大丈夫だと思ったのはおじいちゃんが亡くなってから。


 外に出かけることはできなかったけど、恵比寿のアトリエだけは行っていた。私のストレス解消の場かな。今でもそうだけど・・・。自分でもよく耐えてきたと思う。
 アトリエでは大きい絵を描いて、家では小さい絵を描く。毎年テーマを決めて、シリーズではがきに水彩画を描いている。お花、野菜やケーキなど。小さい絵をちょこちょこと描いているのは楽しいわよ。ハーブのシリーズもあった。ハーブは自分で育てて花が咲くまで待って描く。プランテーションに行っていろんなハーブを買ってきて、種から育てる。毎年16枚描いて印刷してもらうの。何年もやっているからどんどん原画がたまる。原画だけでも展覧会ができそうな気がする。長細い額に入れてもいいかな。

 あと、綱島のギャラリーで毎年9月に5人でグループ展をやっている。だれかが辞めた時点で辞めることになっているのだけど。去年そういえば17回忌だと言ってみんなで笑ったわ。それから毎年クリスマス近くに、親しくしている織物の先生が生徒のために展示会を催すの。その先生から「展覧会だから小さな絵を出して」と頼まれるので、5、6枚小さな絵を出すの。水彩はがきや絵が欲しい方には、安くおわけしている。
 

母方の実家は代々画家だった
 

 私が生まれたのは金沢。両親ともに金沢の人。母の実家は佐々木というの。私の兄弟は弟が二人。私は長女なのだけど、私の母は後妻で腹違いの姉がいる。姉たちはおじいさん、おばあさんに育てられていたので一緒に住まなかった。姉は金沢に住んでいるけどちゃんと行き来している。時々遊びに行ったりしている。

fujiyama3.jpg 私の母の父は、佐々木三六(さんろく)という画家。雅号は「長江」。母が遺産分けでもらった絵がたくさんあった。私たちでは保管できないのでもったいないからと金沢の近代美術館に相談したら、そこの館長さんが預からせてもらうと言って保管してくれることになった。そのかわり美術館で企画展する時は使わせてくださいという条件で。

 全部持っていかれるのもなんだしと思い、その中から絵を数枚もらった。額に入れて居間に飾ってる。三六さんのスケッチ帳は貴重なものだから私が欲しいといって母からもらってきた。日本髪の人、着物を着た子どもや男の人などを鉛筆でデッサンしたり、風景を水彩でスケッチしてる。でも、シミだらけでもったいない。今みたいなスケッチブックがあったらどんなによかったでしょうね。

fujiyama4.jpg 昭和52年に福井県立美術館で『福井の明治美術展』が開催された。三六さんの絵が図録の表紙に使われている。ルーベンスとかフェルメールのような絵ね。イタリアの美術学校留学の時に描いたのではないかしら。図録に『洋画留学の最も早い人の一人。トリノ留学。コンクール で一等賞をとった作品』と書いてある。 三六さんの父、佐々木長淳(ながあつ)さんも絵を描いていた。図録に『ペ
リーが来たときに、軍艦の中に絵図を描いた。養蚕学もやっていて近代製糸業にも尽くした。橋本左内肖像画を残した』とある。

 母は実家が代々画家だったことを私に一切話さなかったので、大きくなるまでおじいさんが絵を描く人だったことは知らなかった。母はちょこちょこといたずら描きするのだけど、絵がうまい人だわと高校生くらいの時に思った。多分、絵を描くのは当たり前だと思っていた人だと思う。 
福井の美術館ではじめておじいさんの絵の実物を見た。さすがにイタリアに留学していただけあって、他の人の絵よりむちゃくちゃ色がきれいなの。富士山の絵のブルーがすごくきれいだった。大きい作品だったので感動したわ。油絵も水彩画もたくさんあった。母にもらった絵やスケッチ帳は、いままで誰にも見せたことがない。はじめて人に見せた。おじいさんはきっと喜んでいるわ。

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孫の私は絵を描くのが好きなだけ。あと、いとこ(三六さんの三男の子)が人形作家。ご主人が外科のお医者さまだった。私より2才年上で71才。富山に住んでいて人形作りを教えている。彼女の人形はコレクターがたくさんいて海外では全部売り切れてしまう。今度パリに出展するらしい。日本の人形展で賞を総なめにしているの。この人が一番おじいさんの影響を受けている。

fujiyama6.jpg 私の絵が欲しいというので絵を送ったら、紙粘土で作った人形を送ってきたの。身体の骨組みから全部わかってないとこういう作品はできないと思う。孫たちが見るとリアルすぎて怖いというの。ものすごく霊感が強い人だから人形に魂が全部はいっていく。粗末にできない。ほこりかぶっているけど(笑)。そのうちに二人展をしたい。  

優しくて女性的ねと言われるけど・・・

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代の頃、父の転勤で松本に3年くらい住んでいたことがある。長いことスキーにのめりこんでいた。そのころはお弁当を持って板を担いでバスに乗り、毎週一人で滑りに行っていた。赤倉、妙高、御岳高原、美ヶ原とか。私は一人でいるのが好きな人なの。気を遣わなくていいから。好きなようにできるじゃない。

 3月くらいかな、アイスバーンのところを直滑降で滑っていて顔からダダっーと、ずりずりにけがをして骨折した。家に帰ったら母にもう懲りたでしょと言われた。でも次の年からまた出かけて行った。好きなように滑って楽しいのよ、これがまた。 

 みなさん女性的で優しくていい人ねと言ってくれるけど、すごい男勝りかもしれない。さばさばしている。子どもは男の子一人で、女の子がいないので体育会系かも知れない。

 でも、身体は弱かったのよ。ものすごく弱くてね。熱出してアトリエを休んだりした。

 海外旅行で成田を出たとたんに具合が悪くなって、下血が始まった。びっくりしてね。どうしようと。下血が止まらなくて、このまま続いたら生きて帰れないかも知れないと思った。そのときは息子と一緒のツアーだった。みんなに迷惑をかけてはいけないという気持ちが強いものだから我慢したの。ギリシャに着くちょっと前に、添乗員さんにギリシャから帰りますと言ってホテルまで連れて行ってもらった。ホテルでお医者さんに見てもらったらすぐ病院に行かなきゃダメだと言われて、国立の病院に連れて行かれた。こんな病院はじめて見たわと思うようなすごいところ。汚ならしいし、不潔だし、患者さんがいっぱい溢れるようにいた。そこでとにかく応急の処置受けて、下血が多かったので輸血してもらった。エイズが流行っている頃で心配だったけど・・・。

 輸血をしてもらったら身体がふわ〜と暖かくなってきてなんともいえないよい気分になったの。そのときのことは忘れられない。それだけ血が少なくなっていたのね。それから腸の検査を受け、入院しないとダメだと言われて、しょうがなく入院した。

 一週間後に検査の結果がわかりましたと、いろんな先生が入ってきてわいわいやってるの。すごい大きい声でわめくように何か言っているけど、こちらは何かわからない。何言ってるのと息子に聞いたら「この検査は失敗に終わりました」と。「うそ〜」(笑)。

 「失敗したから1週間後にもう1回検査させてくれ」と言うの。息子が「こんな所にいたら殺される。すぐ引き上げるっ」と怒って、飛行機の手配や退院手続きして、その日の夜の便で帰国した。私の病気のことを先生は何か言っていたのと息子に聞いたら「癌です」と言われたって。ああ、やっぱりねと思った。なぜかシラ〜とした感じで「そう」と返事した。

fujiyama7.jpg 日本に帰ってから検査を受けたら「別にこれといったことがありません」と。あの出血は何だったのと狐につままれたような感じ。ストレスとか気圧の変化とかで腸に穴が開いて出血したらしい。1週間ギリシャで入院している間にすっかり穴がふさがって、日本で検査受けたときはどうってことなくなっていた。癌なんてとんでもない。

 ギリシャにいたらきっとどこか切られていたわ。息子は命の恩人。そのときにギリシャ人の血をかなりもらったのね。それからすごく元気になった。ものすごく元気な人の血をもらったみたい。熱も出さなくなったし、寝込むこともあまりなくなった。不思議ですね。そこから私は生まれ変わったのだと思う。でも心配だから毎年エイズの検査を受けていましたよ。

 ギリシャは2回目だった。病院に運ばれるとき、タクシーの中で横になってアクロポリスを見ながら「あ、アクロポリスだ」と。じたばたすること一つもなかった。不安は不安なのだけど、ものすごく冷静な自分がそこにいた。息子も冷静なの。添乗員に、こんなすごいことになっているのに冷静になっている人たちは始めてみましたと言われた。それもきっと無事で帰ってこられることがわかってたのじゃないかな。内心、こんなところで死んでたまるか、ばからしいと思っていたのね。
 

いろんな人とつながりを持っている幸せ
 

fujiyama8.jpg 昔、テニスをしていたの。夫も一緒に。そのときの仲間はみな辞めてしまっているのだけども、今も行き来している。1月3日は必ずわが家に来て私のお料理を食べて、飲み会をやるの。8人くらいなので足の踏み場もないくらい。午後3時に来て、帰るのは夜の11時過ぎ。今年で22年よと言われて、そんなに続いていたのとびっくりしたのだけど・・・。

 お菓子を作るのも好き。月に1回、5名くらい来てもらって、はがきに水彩で絵を描いてもらう。そのあとに「アフタヌーンコーヒー」の会をしている。絵は小学校以来描いたことがない人ばかりで、ケーキだけ食べたいと言う人ばかりだったけど、絵を描き始めたらおもしろくなって楽しみにしているみたい。

 主婦なので、2、3回でやめるだろうと思っていたら、お弁当持ちで参加する。お弁当食べて、1時から4時までやるの。このグループは編み物や織物をする人たち。作品展をなさるのでそのときに買わせてもらうの。

 外に出かけているちょっとおもしろいグループがある。お医者さんの奥さん5人グループ。ホテルオークラのサークルでご一緒になった方々で、2030年の長いつきあい。皆さん70才以上で、超ハイクラスの人たち。音楽のお仕事をしている方は、ニューヨークに別宅を持っていて、お稽古のある日に合わせて帰ってきて「夕べ、ニューヨークから帰ってきたところ」と、名古屋や大阪から帰ってきたような言い方なの。私は背伸びもしないし、このままの人間を見てもらえばいいと思って気楽につきあわせていただいている。想像もつかないような知らない世界をいっぱい聞けて、それは楽しい。
 

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敏子さんが描いた油絵

 月に1回「アフタヌーンコーヒーの会」というのをしてるでしょ。それがね、若いときからの夢だった。この会では、私も楽しませてもらっている。私より10歳くらい若い人が多くて、若い人の考えを聞ける。いろんなお話が出てくるわよ。こんどはどこに旅行に行きたいとか、お料理のレシピなんか主婦感覚で、すごく勉強になり大助かり。

 女性でもいろんな趣味を持っている人たちはおもしろい。みなさんに共通しているのは何かしている人は若々しいということ。生き生きしてる。家の中に閉じこもって孫の世話だけしている人とはちょっと違う。そういうネットワークを持っていることは、この年では幸せかなと思う。
幸せは自分で作っていかないとね。ほんの小さいことでも嬉しいとか、幸せと思うようにしてる。そんなに上を見ないようにしているけども、夢はちゃんと持ってる。若いときから年を取ったらこういうことをしたいという夢があったら、自然にそこまでたどり着くというのがこういうことなんだなってね。

 夢はちゃんと持ち続けないとだめだなということがよくわかった。このごろ大事なところの感動がちょっと薄れているのじゃないかなと感じることがあるの。情けなくて・・・(笑)。ま、これも自然の流れに年相応にいけばいいのだなって。そこで無理をしようと思うと身体にも影響がでると思うので自然体がいい。

posted by ききがきすと at 12:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | ききがきすと作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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